市ヶ尾横穴古墳群は、住宅街の中、市ヶ尾小学校のすぐ近くにあります。
斜面の下は広場のように開けていて、古墳の歴史と地図をのせた案内板が立っています。案内板がなければ、ただの広場だと思って遊んでしまいそうな場所です。
子ども記者のメモから(10月2日)
ゲストの方によると、古墳には一人のためのものも、何人かのためのものもありました。
斜面のところには、亡くなった人に花や持ち物を供える場所がありました。供えたのは、その人がふだん使っていた物や、その人らしさを表す物です。これまでの発掘でも、勾玉や槍などが見つかっています。
市ヶ尾の古墳は、まわりの木を切り倒して整備をしていたときに、偶然見つかったそうです。調べると大きな古墳だと分かり、そこから調査が始まりました。
9月25日に聞いた、ゲストの方の話から
ゲストの方からは、こんな話も聞きました。古墳時代のこのあたりは、位の高い人が治めていた土地だったそうです。
町が開けていくなかで壊された古墳もありますが、一番大きな古墳は今も残っているそうです。また、国道246号より北側に、古墳が多く集まっているそうです。
9月25日に聞いた、ゲストの方の話から。個人の記憶として聞いた話です
現地の資料には、次のように書かれていました。
市ヶ尾横穴古墳群は、6世紀後半から7世紀後半にかけて作られた横穴墓で、A群12基・B群7基の、合わせて19基があります。発掘調査は昭和8年(1933年)と昭和31年(1956年)の2回。横穴の入口の前の広場(前庭部)からは刀や土器が見つかっていて、亡くなった人をまつる儀式をしていたと考えられています。
横穴の中のつくりにはいくつかの形があり、時代によって少しずつ変わっています。今の姿は、昭和58年(A群)と平成6年(B群)に保存のために整備されたものです。
子ども記者が現地の資料から書き写したもの
町の開発で、古墳の一部は小さくなったそうです。なくなった部分に眠っていた人は、どうなったのか。
これは、まだ答えが見つかっていない問いです。次に調べたいこととして残しておきます。
子ども記者のメモから(10月2日)
10月2日、夜7時ごろに歩いて行きました。あたりはもう暗く、空には月がきれいに出ていました。
クモを見つけたり、「幽霊が出るかも」と話したりしながら歩きました。古墳の穴は狭そうで、中には入れませんでした。
暗い中でしたが、感想は「楽しかった!」です。
子ども記者の歩いた記録から(10月2日)